芽
我が家の愛猫の獅子丸が野外で大怪我をして帰ってきたため久しぶりの投稿となった。
尻尾の付け根の付近に怪我をして膿んだために尻尾が壊死してしまった。非常に警戒心の強い猫のため朝の三時か四時ごろにしか外に出ないので交通事故ならば新聞配達のバイクかもしれない。或いはアライグマなどに噛まれたか猫同士の喧嘩によるものかも知れない。いずれにしても原因はわからない。なにものかがやったとしても確かな証拠が無いということは飼い主である私の飼い方が完璧ではなかったということになる。
こんなときいつも思うのだが神社のでかでかと掲げている鳥居は何のためにあるのだろう。あれは近くに神様が降り立ちとどまるためのご神体がありますよと神様に教えているものであろうが私は神社に参拝しようと思うことはほとんど無い。
長い間動物との暮らしをしている私は多くの動物を失い神を恨んできた。交通安全や安産その他いろいろと多くの人がお参りに行くのが神社であるがあいにく神から見放された動物たちのほうが繁栄する力が強く多くの人間から利用されながらも行き続けてきたわけである。
アメリカで一年に殺す牛の数は七千万頭だそうだ。そして人間が必要としているのは神ではなく食料とする動植物であることはいうまでも無い。敬うべきとされる神よりも動物たちのほうがはるかに私の要求に答えてくれる存在であり、決して神に負けない存在といえる。
どんなに苦境に立たされても神に頼ろうとは決して思わないもし私が癌になったとしても
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